【鶴の湯だより NO215 2009年3月15日配信より】
■鶴之助独り言(昭和が漂う街、中書島)
通勤の帰り道、時々一駅手前の中書島で途中下車して、ぶらりと街を散策することがある。
昭和の雰囲気を残す夜の中書島は、なかなか風情がある。
駅前通りをまっすぐ大手筋方面へ抜け、竜馬通り商店街から、納屋町を通って家路に向かうのがいつものコース。
左利きの通が入り浸りそうな、渋い飲み屋がポツポツあるが、街灯の看板にある「中書島繁栄会」という文字も空しく、どの店も繁栄してそうには見えない。
子供の頃、廻る寿司のない時代、つる爺がこの界隈でよく遊んでいて、演歌が流れる「じゅん平」という大衆寿司屋に時々連れていかれたことを思い出す。
(途中でカラオケの歌える居酒屋になったそうだが、今も中華料理の楊子江さん隣に看板だけが残っている)
子供の私が、わさびが利いていないとクレームをつけると、テンコ盛りのわさびを寿司ネタに付け「これでも未だ利かんか?」と意地になる大人気ない大将が懐かしい。
じゅん平では、息子の武豊を連れた武邦や漫才師の横山やすしにも出くわしたことがある。
昭和の中書島は、有名人も訪れる活気のある歓楽街だった。
少し高級な料亭だった、「ますかけ家」も今はなく、「南づる」も最近廃業したらしい。
通りの中間にある銭湯「新地湯」は昭和の街演出にひと役買っている。
これで、昔大手筋にあった東映会館のような映画館があれば、3丁目の夕日みたいなノスタルジックな映画のロケ地にピタリとはまりそうである。
ともかく最近気が向けば、勇気を出して、中書島界隈の居酒屋やスナック、鮨屋に飛びこんでは伏見の昔話と地元の人達との交流を楽しんでいる。
ホストクラブに走っているおばさんの話、博打で首回らんようになってヤクザに追われてる兄ちゃん、、男前の気のいいマスターがやっているショトバー、御香宮祭りの最終日のけんか御輿、竜馬時代の寺田屋は戊辰戦争で焼失して、今の寺田屋じゃないという話、伏見が荒れていた時代のヤンキー列伝、焼肉のうまい店、いい女がワンサカいる伏見一のクラブなどマイナーだがなかなか興味をそそられる話が聞けるのが楽しい。
昭和の時代はいい意味で、人々がもっと泥臭く、懸命に生きていたように思い出す今日この頃である。
中書島はその昭和の面影が残る貴重な街である。